2008-2015 (35-42) 中年期 「24時間TV愛は地球を救う」に出演。再び、新聞社やラジオ、雑誌などの取材が入ってくるがここで天狗になってはいけないと常に心に言い聞かせる。エフエム山形 岩崎敬のラジオロイド内にコーナー「勝手に山形応援キャンペーン」「タダでもいい音楽」展開する。 中年期 エフエム山形の岩崎敬のラジオロイドに準レギュラーとして出演、同ラジオ内で岩崎敬と作った楽曲「横顔のかたち~山形県にいこう!」が反響を呼び、シングルを手売りで1000枚完売キャンペーンを達成しそのままセカンドアルバムをリリース。山形観光物産展などで楽曲が起用される。 中年期 楽曲「悲しくて」が認められて各地のアーティストがカバーをしたりして、話題になり数社から契約の話をいただく。満を期して2枚組アルバム「多田宗晃の世界」をリリース。正式な1stがいきなりの2枚組はシカゴ以来と話題になる。楽曲「夢~人は夢でしか生きてはいけない」がTVCMに起用されたり、エフエム山形のマンスリーハイパープレーに選出されたりし始める。 中年期 「石川寛也」「パイナップル独りウェイ」「井上ヤスオバーガー」らとめんどくさい人達ツアーと題し、全国20ヶ所ツアーに出かけて各地で迷惑をかけつつも笑いと涙を送り届ける。「石川寛也」「森英記」「新田慎太郎」「藤田亮」「宮腰理」らとGUDA-GUDAを結成。「森コウイチロウ」「曳地拓真」「関村将」らと「ザチャージパッカーズ」を結成。2つのバンドで全国をツアーする。 中年期 レッサーパンダ4枚目のアルバムリリース前にバンドは活動休止宣言をする。平行していたソロ活動を本格化させ、レッサーパンダ4枚目のアルバムと自主制作のソロのミニアルバム同時リリースして全国ツアーに出かける。勢いあまって新宿ロフトよりソロプロジェクトを開始する。